先日「ステージ4」のガンが公表された歌手の葛城ユキさん・・・体調は大丈夫なのか?とても心配ですね。
葛城ユキさんといえば、1980年代に「ボヘミアン」が大ヒットしたことでも大変有名な方なんですが、
当時小学生だった筆者は歌が大ヒットしたことはよく覚えているものの、当時は情報がテレビや雑誌しかなく、どんな方なのか?ほとんど知らなかったので(汗)
今回、調べてみました!
葛城ユキとは?プロフィールについて
- 本名:田中 小夜子
- 生年月日:1949年5月25日
- 出身:岡山県川上郡川上町(現在:高梁市)
- 学歴:片山女子高等学校(現:倉敷翠松高等学校) 卒業
高校時代はバレーボールの選手として活躍!国体にも出場したことがあるそうです。
葛城ユキがデビューしたキッカケは?
高校卒業後、倉敷紡績に入社。しかし1か月で退社した葛城ユキさんは、
その後歌手になるという夢を叶えるため、家出同然で大阪に行き、音楽スクールに通っていたそうで、
1973年、ヤマハポピュラーソングコンテストに出場し、この時は【朝霧マチ】という名義で「小さな出発」という歌を歌い、歌唱賞を受賞。
さらに翌年にも同コンテストに出場した葛城さんは、「木曽は山の中」を歌い、最優秀賞を受賞!
また同じ年に開催された第5回世界歌謡祭でも、同じ曲で入賞(川上賞)したことから、一躍注目される歌手となります!
大ヒット曲「ボヘミアン」について
元々はニューミュージック系を歌っていた葛城さんユキさんは、デビュー7年目でロックに転向します。
そして1983年。
飛鳥涼さんと井上大輔が大友裕子さんという歌手に楽曲提供した曲を、葛城ユキさんがカバーするのですが・・・
それが、大ヒット曲「ボヘミアン」だったのです。
「ボヘミアン」がカバー曲だったとは!?そして、作詞したのが飛鳥涼さんとは・・・調べて初めて知りましたww
カーリーへアーと、独特あるハスキーな歌声が大人気となり、当時歌番組でよく見かけてましたね♪
ちなみに筆者は小学生だったのですが、声がハスキーで特徴あることから、男子が物まねしてた気がします(笑)
さてそんな人気絶頂な時、葛城ユキさんに【あること】が判明しますが・・・!?
葛城ユキが人気絶頂期にバレてしまったこととは?
1983年。コンサート先で腹痛を訴えた葛城さんは緊急入院してしまいます。
その時、病室に書いてあった本名が公表されていたものと違う?
そこでマスコミが事務所に聞いたところによると、実は葛城さんは4年前(1979年?)に、一般人のサラリーマンと結婚していたことが判明したのです!
相手の方が一般の方であったのもあり、
「(相手の方が)この世界と関係ない人だし、言う必要もなかった」と葛城ユキさん。(そりゃそうですよねww)
しかし、この一件で葛城さんの名前はさらに浸透して、結果的に「ボヘミアン」はレコード41万枚を売り上げたそうです!
葛城ユキ、ブレイク後と今の活動は?
さて葛城ユキさんはは音楽活動を続けており、現在はインディーズで活動されているそうです。
バラエティ番組に出演されたこともあるのですが・・・
2003年【とんねるずのみなさんのおかげでした】の収録中になんと!葛城ユキさんは第7・8胸椎骨折の大けがをしたそうです!
葛城ユキ「人間大砲事件」とは?
人間を弾代わりに大砲から撃ち出し、ウレタンを敷き詰めたプールに着地させるというゲーム
これをやった葛城ユキさん・・・その結果大けがをしました。
全治8か月の大けがだったとのことで再起不能が危ぶまれましたが、無事に復帰し、現在も精力的に歌手活動を続けています^^
今でも現役でパワフルでスタイル抜群!
さて現在の葛城ユキさんですが、変わらずライブなどといった音楽活動を精力的に行っているわけですが、
長年定期検診を受けてこなかったところに今回健康診断を受けて、まさかの「原発性腹膜がん」が判明・・・しかもステージ4と告知されたということなので、今後が本当に心配なのですが、
今はまだ症状が見られないとのことから、予定されている公演は行ってから、2021年5月1日より入院するとのことです。
それにしても肺がんの転移も見られることもあって、年齢的にも今後の歌手活動がとても心配ですが、
どうか1日も早くご病気が治り復活して、またあのパワフルな歌声が聴けることを、願っています。