2016年4月26日の【徹子の部屋】
ゲストに今陽子さんが登場します!
今陽子さんというと、
「恋の季節」という、
昭和を代表する名曲で大ヒットした、
ピンキーとキラーズのピンキーですが、
・・・名前くらいしか知らないので^^;
今回調べてみたいと思います!
≪主な内容≫
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今陽子プロフィール
今 陽子(こん ようこ)
(出典:徹子の部屋より)
- 本名:今津 陽子(いまづ ようこ)
本名の「津」を取って読み方を変えたのが芸名なんですね。 - 生年月日:1951年11月1日
- 血液型:A型
- 身長:167cm
出身や学歴は?
- 出身:愛知県知多郡横須賀町(現在の東海市)
- 学歴:中学は「金城学院中学」(愛知県名古屋市)
途中転校して上京されました。
高校は「精華学園高校」(今は廃校になっているそうです。)
今陽子さんは、
中学生の時にスカウトされたのがキッカケで、
1966年愛知から上京。
作曲家いずみたくさんの実家に下宿しながら、
指導を受けました。
ちなみにいずみたくさんといえば、
「手のひらを太陽に」や「太陽がくれた季節」など、
昭和を代表する名曲を作った方ですよね!
筆者の小学校の頃はこれらの歌をよく歌ったものです^^
そして1967年。
15歳の時「甘ったれたいの」でデビューした今陽子さん。
山本リンダさんと同じ路線を狙って、
ソロ歌手としてデビューしたものの、
この曲は全く売れなかったそうです・・・
デビューした翌年の1968年。
レコード会社を移籍した今陽子さんは、
男性4人をバックにつけるという、
いずみたくさんのアイデアから生まれた、
【ピンキーとキラーズ】というグループを結成しますが、
デビュー曲「恋の季節」が大ヒット!
オリコンで17週1位を獲得し、
270万枚を売り上げました。
この歌は筆者も生まれる前の歌なのですが、
幾度となくTVからも流れていたので、
知っています^^
若い世代の人も、
TVから流れる懐かしい歌ということで、
広く知れ渡った歌のひとつではないでしょうか?
そしてこの歌を作ったのもいずみたくさん!
いずみたくさんは、
昭和のヒット曲を数々作ったスゴイ方なんだな、
ということを改めて思いました。
ピンキーとキラーズについて
ピンキーとキラーズは、
1968年から1972年にかけて活動したグループです。
今陽子さんはここで、
「ピンキー」と呼ばれていました。
「キラーズ」というのが、
男性4人で楽器とコーラスを担当。
メンバーが、
- ジョージ浜野(ギター)
- エンディ山口(ギター)
- ルイス高野(ベース)
- パンチョ加賀美(ドラムス)
音楽のジャンルは「ボサ・ノヴァ」。
またこのグループ名についてですが、
ピンキーは「小指」
キラーズは「殺し屋」
そんな意味があるそうです!?
さてピンキーとキラーズとして有名になった今陽子さん。
デビュー曲発売後もヒット曲を数々飛ばしますが、
1972年に脱退し、
再びソロで活動することになるのですが・・・
ピンキーとキラーズを脱退した理由は?
今陽子さんがピンキーとキラーズを脱退した理由ですが、
当時20歳だった今陽子さん。
一方のキラーズのメンバーは、
結婚して家庭を持っていたそうですが、
まだ若く、
夢や希望を沢山持っていた今陽子さんは、
そんなキラーズに不満をぶつけ・・
一説によると?
キラーズに、
「おっさんたち、足手まとい!」
そう暴言を吐いたというエピソードもあります!?
当時は多忙すぎたがために、
遊ぶ暇すらなかったそうなので、
周りに対して攻撃的になっていたのかもしれません。
(そういう時期ってありますよねww)
また今陽子さんは、
ソロでデビューしたのに売れなかったことがショックだったそうで、
グループで売れたのは嬉しかったけれど、
ソロでやりたかったという気持ちがあったのも、
脱退の理由だったようです。
そんなキラーズのメンバーと今陽子さん。
では不仲か?というと、
そんなことはないようで、
2008年に、
36年ぶりに再結成したことが話題になっていたので、
不仲ではなさそうです^^
さて今陽子さんはデビュー50年!
今でも歌手や女優としても活躍されていていますが、
そういえば、
ご結婚されているのでしょうか?
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