アンミカの幼少期は?
四畳一間で7人で住んでいた貧乏エピソードや、
スイカの種をしゃぶってスイカを食べた気になっていたという話を、
色んな番組で使いまわしをしていたという、
アンミカさん!
実際どんな幼少期を過ごしてこられたのか?
まとめてみました。
在日韓国人のアンミカさんは、
韓国・済州島生まれ。
そして大阪市生野区・阿倍野区で育ちました。
ご家族は、
年子のきょうだいがおり、
兄・姉・弟・妹がいるそうです。
アンミカさんは貧乏だったと、
色んな番組で語られているそうですが、
実際に家は、
家族7人が4畳半の部屋に住んでおり、
しかもその部屋は、
他の人が住んでいた2階を間借りした部屋だったそうです。
また18歳までお風呂のある家に住んだことなく、
周囲は長屋が並ぶ地区でお風呂のない家ばかりだったので、
それが普通だと思っていたとのこと。
病気になっても、
病院には行かずに、
母親が病院の先生を外に呼び出して、
アドバイスをもらったり!?
昔は果物が高価だったため、
捨ててあった売り物にならない果物を拾って食べていたそうです、
しかしスイカだけはなかなか捨てられることがなかったので、
スイカの種をしゃぶって食べた気になっていた、
というエピソードが披露されていました。
学生時代は陸上部に所属していましたが、
その一方で、
早朝の新聞配達やパン屋のアルバイトをして、
家事をし学業もきちんとやって、
きょうだいで支え合ってきたアンミカさん。
そして、
ご両親からもたくさん愛情を受けて育ったので、
貧しいことが苦労とは思っていなかった、
そんな幼少期だったみたいです。
また貧しさから、
グレたりしなかったのか?
なんて思われがちですが、
生活がいっぱいいっぱいで、
グレている余裕などなかったそうです。
逆にグレている人を見たら、
「この人ゆとりがある」と思っていたそうw
それ・・・なんか分かる気がします(笑)
モデルになったキッカケは?
貧しいことが苦労とは思っていなかったアンミカさんですが、
小さい頃口元にケガを負ったこともあってか、
コンプレックスから引っ込み思案だった幼少期だったそうです。
そもそも幼い頃はきょうだいの中で一番背が低く、
ぱっちゃり体系だったとのこと。
そんなアンミカさんを、
美容関係で働いていた母親が、
ミカちゃんは手足が長いから、将来モデルさんになれるかも
そう言って、
いつも励ましてきたのだそうです。
そして母親の言葉で、
コンプレックスを克服したアンミカさん。
母親は中学3年の時にガンでなくなりますが・・・
大阪府立住吉高等学校に在学している時に、
モデルになろうと思い、
モデル事務所に応募。
最初は書類選考で落とされたものの、
チャンスをつかんで、
モデル事務所に所属することになりました。
そして高校卒業して、
単身でパリへ行き、
自分の力で仕事を掴んできました!
18歳でイギリスのファッション誌【I・D】に写真が掲載され、
そして、
20歳でパリコレクションへ参加。
自分の力と、
そして家族の支えによって、
アンミカさんは成功したのですね!
父親もアンミカさんの活躍する前になくなってしまい、
親孝行できなかったことが心残りだそうですが、
現在のアンミカさんを見たら、
ご両親もきっと喜んで下さることでしょうね。
これまでアンミカさんといえば、
旦那さんとラブラブな生活を紹介したり、
結婚する前は、
元カレがスパイだったとか・・・
バラエティ番組での告白より。
元カレ・・・ヤバすぎるww
そんな話しか知らなかったので、
今の幸せな生活がある裏には、
昔の苦労や努力があったということを、
今回初めて知りました!
人間、
やる気になれば何でもできるし、
夢を叶えることだってできるんですね^^
人から見たら不幸と思えることかもしれないけど、私には全くその感覚がない。幸せも、不幸も、結局、自分の心だけが決めることなんだなと、改めて思っています。
(出典:Yahoo!ニュースより)
アンミカさんてステキな女性だなって、
改めて思いました。
【有吉反省会】では、
有吉さんが、
「『もう不幸にならないぞ』という意気込みを感じる」と、
感心するそうですが・・・
不幸というより、
これからも今まで苦労した分、
アンミカさんには沢山幸せになってほしいと思います^^
コチラもおススメです♪