2019年6月14日に放送される、
【爆報!THEフライデー】。
爆報!謎の病に侵された元巨人軍スターを支えた妻!
と題して取り上げられるのですが、
謎の病に侵された元巨人軍スターって、
一体誰のことなんでしょうか?
≪主な内容≫
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謎の病に侵された巨人軍スターは誰?
まず今回【爆報ー】に出演される、
「謎の病」に侵された元野球選手は誰?
ということですが、
これは調べたところ、
かつて読売ジャイアンツの選手としてプロ野球界に入団し、
その後西武ライオンズ→中日ドラゴンズを経て、
1992年に西武ライオンズで引退した、
鈴木康友さん、
ということのようですね。
鈴木康友、プロフィール
それでは鈴木康友さんのプロフィールをご紹介します。
鈴木 康友(すずき やすとも)
- 生年月日:1959年7月6日
- 身長:180cm
- 学歴:天理高等学校
- 右投右打・内野手
- 高校の時から手品が趣味だったらしい
- 出身:奈良県五條市
鈴木康友の家族について
鈴木康友さんの家族ですが、
妻とそして子供がいるようで、
今回【爆報ー】に妻が出演されますが、
どんな方なのか?については情報がないことから、
おそらく一般の方ではないかと思われます。
ちなみに鈴木康友さんには息子さんがいるようで、
名前は翔太さん。
鈴木康友さんが中日ドラゴンズに在籍していた時に、
息子の翔太さんは名古屋で生まれ、
小学校2年の時から野球を始めたという翔太さんは、
中学校2年の時からは捕手を務めるようになり、
高校卒業後も野球は続けると、
2006年当時の記事にそう書いてありましたが、
その後プロになったとかいう話はないため、
おそらく一般人である可能性が高いようです。
また鈴木康友さんを調べると、
「娘」というワードが出てきますが、
コチラについては、
鈴木康友さんに娘がいるという情報は見つかりませんでした。
鈴木康友さんには同姓同名の政治家がいる、
とのことなので、
コチラの検索結果とごっちゃになっている可能性があるかも?
しれませんね。
鈴木康友さんはかつてプロ野球選手界において、
「ユーティリティプレーヤー」として活躍した後、
1992年の引退後は様々な球団でコーチや監督を務められていますが、
現役選手時代・コーチ時代合わせて、
14回のリーグ優勝と7度の日本一を経験されており、
また独立リーグでも、
監督・コーチとしてチームを優勝させてきたという、
野球界には必要な方なんですね!
そして2018年10月には長男がかつて在籍していた、
立教新座中高等学校・野球部の非常勤コーチを務める一方で、
2019年からは13年ぶりに【J SPORTS】の野球解説者に復帰したり、
東京スポーツの野球評論家としても活躍しているそうです。
長年野球界で活躍しているる鈴木康友さん。
プロ野球に入団するキッカケはというと、
高校時代に受けた、
ドラフト指名による入団でした、
高校時代に4度の甲子園に出場し、
「強打の大型遊撃手」として知られていたという鈴木康友さんは、
読売ジャイアンツからドラフト会議で5位に指名されたことで、
プロ野球界に入団しますが、
この当時の長嶋茂雄監督が自ら獲得に自宅まで出向いたという、
そんなエピソードがあるくらい、
高卒でドラフト5位指名でありながらも、
大いに注目された逸材で、
しかも長嶋茂雄さんからは、
僕の弟のようだ
と呼ばれていたのだとか。
しかしながらプロ入団後3年間は2軍選手として過ごし、
1980年にようやく1軍で活躍するようになるのですが、
1984年にトレードで西武ライオンズに移籍→
1986年には中日ライオンズにトレードで移籍され、
そして最終的には1990年の途中に、
交換トレードで再び西武ライオンズに復帰した鈴木康友さんは、
1991年の日本シリーズで、
チームを日本一に導く原動力となるような活躍された後、
1992年限りで現役を引退され、
その後は先にも記載した通り、
コーチや監督としてプロ野球球団などで活躍されてきました。
さて、
長きに渡って日本の野球界で活躍された鈴木康友さんですが、
実は・・・
謎の血液の病気に侵されていたそうですね?
鈴木康友、謎の血液の病気とは?
プロを現役引退した後、
コーチや監督として活躍しチームを日本一に導いたことがある、
鈴木康友さんですが、
2017年夏。
当時「四国アイランドリーグplus」の徳島でコーチをしていた時、
少し動いただけで息切れを起こすようになるなど、
体調不良から、
呼吸系の病気を疑って病院へ行き検査した結果、
血液の難病である、
「骨髄異形成症候群」と診断された鈴木康友さん。
この病気は、
造血幹細胞の異常によって引き起こし病気だそうで、
赤血球の減少により、
症状として体がだるく息切れや動機があるのだとか。
なので気付いたとき、
既に病気が発症したあとだったんですね・・・
しかし当時コーチとして大事な時期だった鈴木康友さんは、
輸血をしながら・・・チームを日本一に導いただけでなく、
その後行われたアイランドリーグ選抜と、
宮崎で開催されるフェニックスリーグにも参加したというのだから、
チームに賭ける情熱が半端ないですね・・・!
そして翌年から本格的に治療を開始した鈴木康友さんは、
臍帯血という赤ちゃんのへその緒から採取した部分で移植を行い、
移植しても病気が治る確率は4〜5割と言われている中、
鈴木康友さんは辛い治療を経て、
先にも記載していますが、
立教新座中高等学校・野球部のコーチに就任されるくらい、
病気が回復されたようです!
そして今回【爆報ー】では、
この時の闘病生活の様子が取り上げられるようですが、
治療のために、
大変な無菌生活を夫婦で送っていたとのこと。
現在臍帯血移植で回復された鈴木康友さんは、
この先病気が再発しないのか?不安なところだと思いますが、
どうか無理はしない程度に、
日本の野球界のためにいつまでも頑張って欲しいと思います。