久しぶりにネットニュースで拝見した、元柔道代表の篠原信一さん。
一時はタレントとして、バラエティー番組に出演されていましたが、最近姿を見かけないと思ったら…現在は長野県でブルーベリー農家を経営されているのだとか。
柔道から農業…意外な転身ぶりでちょっと驚きましたが、そもそもなぜ、篠原信一さんはブルーベリー農家をやることになったのでしょうか?
タレントとしても面白かったというイメージがあっただけに、そのまま芸能活動や柔道の解説者をされているとばかり思っていたので、なぜ農家に転身されたのか?
気になったので、調べてみたいと思います。
篠原信一の現在の姿は?SNSからチェック
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まずはコチラが篠原信一さんのインスタで、ブルーベリー農園「しのふぁ~む」のアカウントとなっていますが、篠原信一さんは2024年6月現在51歳。白髪頭になってはいるものの、良い感じに年を重ねているなあといった印象ですね^^
篠原信一さんは今は長野県北安曇郡で「しのふぁ~む」というブルーベリー農家を営んでいるという話ですが、なぜこの場所に移住して、この年齢から農家をやる道を選ばれたのか?
オリンピックに出場し柔道でメダルを獲得しただけでなく、TVに出てタレント活動もされていたこともあっただけに、なぜ農家という道を選択されたのか?気になります。
篠原信一が柔道や芸能界から引退した理由は?テレビに干されてタレントを辞めたせいなのか
そもそも篠原信一さんはなぜ、柔道の世界から引退したのでしょうか?
2000年のシドニーオリンピックで、『世紀の大誤審』で悔しい想いをしながら銀メダルを獲得したあと、2001年に所属していた旭化成を退社して天理大学体育学部専任講師兼「柔道部監督」に就任し、そして2003年に再び全日本選手権に出場したそうですが、この時準決勝で敗れ3位に終わり、そこで引退を表明されたという話から察して、きっとここで現役で活躍することに対しての限界を感じたのかなっていう気がします…
そして現役引退後、監督として2010年の世界選手権では日本男子の獲得メダル数は過去最大だったものの、その後2012年のロンドンオリンピックでは金メダル0個に終わり…最初は続投する意向だったのが結果的にここで監督を退任されたようです。
そして2013年に天理大学を辞められたとき、篠原信一さんは40歳。これを機に産業廃棄物処理会社に転身されたということですが、柔道の監督業に関しては指導者として向いていなかったといった話をされているのだとか。
まあ確かに、篠原信一さんの監督時代のことを調べると、昔ながらの根性がものをいうような指導法でありながらも当初はそれで成果をあげていたこともあったわけなので、これはもう、指導力のなさというよりも、時代の流れが変わってきたせい?というのもあるのかもしれません。
またタレント業についてですが、見かけなくなった理由としてまず気になったのが何かトラブルがあってテレビから干されたのか?といった話。
こちらについては、そういったトラブルがらみで見かけなくなった、という話は見つかりませんでしたが…
篠原信一さん曰くテレビの仕事は楽しかった一方で、1~2年たつと篠原信一さん自身、しゃべることがなくなってしまった感じるようになったことから、TVに出るプロには敵わないと思ったという話を、別のインタビュー記事で拝見したので、ここで自分はタレントは向いていないと思うようになったことから、自然にテレビの世界からフェイドアウトしたのかなという感じがしますね。
そしてこれまで色々経験していく中で、自分に適した仕事は何かをずっと探してこられた結果が、今のブルーベリー農家だったということなんでしょうか。
篠原信一はなぜブルーベリー農家へ転身したの?
篠原信一さん 農家転身で見えた「思いやる心」… #柔道 男子で史上初五輪金メダル「0」監督 “しくじり先生”が語る https://t.co/CgmW60IBJK #スポーツ #sports #ニュース
— スポーツ報知 (@SportsHochi) June 3, 2024
いろんな道の選択肢があったとは思いますが、なぜ篠原信一さんはブルーベリー農家をやることになったのでしょうか?
あんた性格が悪いんやから、土いじりでもしたら?
(Yahoo!ニュースより)
この妻の一言がきっかけで、家庭菜園から始まったということですが、そこから本格的に農家をやるって、相当勉強しないと大変なのではないかと思いますよね。
そもそもそれまで住んでいた奈良県から、長野県安曇野市に移住を決意された理由ですが、インタビュー記事によるとどうやら一番の理由は、長野県は自然が豊かな場所でありながら東京からのアクセスの良さというのがあるようです。
そして数年かけて物件を見つけ、最初は家庭菜園でやる程度だったようですが、若い農家の方と接していくうちに農業をやりたいと思うようになり、また農家の方に「ブルーベリーをやってみたら」と勧められたことがキッカケなんだとか。
そうしてようやく自分の農園「しのふぁ~む」を作り、軌道に乗ってこられている様子の篠原信一さん。
現在50代という年齢からこの先大変だと思いますが、これからも体に気を付けて頑張ってほしいですね!