かつて国民的アイドルで大人気だった、
ピンクレディーのケイちゃんこと、
増田惠子さん。
なんだかんだで、
実はちょくちょくTVでお見かけしていますが、
増田惠子さんは以前、
病気されたという話があるようなので、
今は大丈夫なのか?
気になるところですよね。
ということで今回は、
増田惠子さんについて調べました。
≪主な内容≫
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増田惠子プロフィール
増田 惠子(ますだ けいこ)
(出典:増田惠子オフィシャルブログより)
- 本名:桑木 啓子
- 出生名:小林 啓子
増田惠子さんは、
元々「小林」家に生まれましたが、
幼い頃実の父親を亡くしたことで、
「増田」家の養子になり、
「増田 啓子」となりました。
ちょっと複雑な家庭環境だったんですね・・・
- 生年月日:1957年9月2日
- 血液型:O型
- 趣味:クラシックバレエ、料理、ガーデニング
- 出身:静岡県静岡市
学歴は?
焼津南幼稚園 卒園
→焼津市立焼津南小学校 卒業
→焼津市立焼津中学校 入学
→静岡市立末広中学校 転校
末広中学時代に、
ピンクレディーのミーちゃんこと、
未唯mieさんと出会いました!
そして高校は、
常葉高校(現・常葉学園高校)へ入学。
この時に未唯mieさんと2人で、
ヤマハのオーデションを受けて優勝!
1974年に未唯mieさんとヤマハボーカルスクールに通い、
ヤマハのポピュラーソングコンテストに出場しました、。
そして【スター誕生】に出場したことがキッカケで、
1976年にピンクレディーとして、
「ペッパー警部」でデビューしました!
※【関連記事】ピンクレディーがデビューした1976年とは?
➡こち亀が誕生した40年前1976年・昭和51年ってどんな年?長寿漫画ついに連載終了!?
デビューしてすぐ、
ヒット曲を連発したピンクレディー!
それは社会現象といえるほど、
大ブームとなりましたね。
ちなみにピンクレディーの絶頂期、
筆者はまだ幼かったのですが、
ピンクレディーのキャラクターグッズを持っており、
また歌や振付を真似したことを覚えています。
子供に大人気!!
「サウスポー」や「UFO」など、
インパクトあるタイトルの歌も、
当時は歌詞の意味も分からないまま、
よく聴いていましたよねww
とにかく大人から子供まで、
大人気だったピンクレディー!
ちなみに筆者は、
今回調べているケイちゃん派でした(笑)
ところでピンクレディーは、
筆者が幼かったころにブレイクし、
気付いたらいつの間にか姿を見なくなって、
解散していたんですよね・・・(1981年解散)
ピンクレディーがわずか4年7か月で解散したその背景には、
アメリカ進出への失敗などがあったとも言われていますが。
実際にアメリカ進出については、
全米でのデビューシングル「Kiss In The Dark」が、
ビルボード誌のランキングで37位にランクインしたり、
アメリカ3大ネットワークでもあるNBCで、
主演の冠番組を持つなどと、
実はピンクレディーのアメリカ進出は「成功」だったそうです。
しかしながらアメリカでの活動の内容というのが、
日本で持っているイメージとは違うこともあって、
ピンクレディーのアメリカでの活動は当時、
あまり報じられなかったようです。
さてピンクレディー解散後、
ソロとして活動始めた増田惠子さん。
ソロデビューシングルは、
中島みゆきの楽曲提供の「すずめ」。
この曲よく覚えていますよ~!
ピンクレディー解散後の増田惠子さんの曲、
ということで、
小学生でありながら注目していましたねw
ピンクレディー時代のような明るい歌ではなく、
ギャップにちょっとビックリしましたが、
いい歌だったのを覚えています。
実際に歌は、
26.7万枚のヒットとなりました。
野口五郎との関係は
さて増田惠子さんを調べると、
「野口五郎」さんの名前が出てきますが、
同じ時代にブレイクしたお二人ですが、
どんな関係があったのでしょうか?
増田惠子さんの著書【あこがれ】によると、
ちょうどアメリカ進出の時、
野口五郎さんとお付き合いされていたそうです!
そっか・・・
当時はそんな噂は聞かれなかった気がするので、
これにはビックリしました。
(もしかしたら幼かったので知らなかっただけかもしれませんが・・・)
そしてこの野口五郎さんとのお付き合いが、
実はピンクレディーのアメリカでの活動を終わらせるキッカケのひとつ、
となっていたそうで、
野口五郎さんと当時お付き合いをしていた増田惠子さんは、
アメリカで活躍していたにも関わらず、
その恋愛事情から帰国を強く望んでいたと言われています。
ピンクレディーとして解散後、
現在は幾度なく復活はしていますが、
解散当時はこうした、
増田惠子さんの恋愛事情もあって、
ミーちゃんこと未唯mieさんとの仲たがいもあったのではないか?
って思いますね・・・
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それでは次のページでは、
増田惠子さんその後の活動などについて、
書いてみたいと思います。
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