犬や猫を家族同然に可愛がり、
そのため飼っていたペットが亡くなることでペットロスになった、
という話はよく耳にしますよね?
筆者自身も犬を飼っているので、
もし今共に過ごしている愛犬がいなくなったら・・・
と想像するだけで、
その時自分がどうなるのか???
今から不安な今日この頃です(汗)
しかしペットロスは、
愛情持ってペットを飼っている人は、
誰もがいずれ体験することではないでしょうか?
今回ペットロスの体験について、
歌手のジュディ・オングさんが、
2016年8月12日に放送される、
【爆報!THEフラアイデー】で告白されるそうです。
ジュディ・オングさんがペットロスをどう乗り越えたのか・・・
とても気になるとともに、
ジュディ・オングさんてどんな人なのか??
プロフィールなども調べてみました。
(主な内容)
☆1ページ目
☆2ページ目
|
ジュディ・オング プロフィール
ジュディ・オング(Judy Ongg)
(出典:Twitterより)
- 本名(帰化名):翁ジュディ
- 台湾名:翁倩玉
ジュディ・オングさんは台湾出身の、
現在は日本国籍を取得した歌手で女優です。
1972年日中国交回復したのを機に、
日本に帰化しました。
ちなみにご両親は台湾人。
そして建築家の兄がいるそうです。
またジュディさんは芸能活動以外に版画家としても活躍されており、
ジュディ・オング倩玉という雅号で全国で木版画の展覧会をされています。
そして現在(2016年)の活動ですが、
シンガポールでコンサートをされるなど芸能活動も活発的に続けている一方で、
女優としてドラマに出演されたり、
日本介助犬協会のサポート大使も務めているそうです。
- 生年月日:1950年1月24日
- 兄の影響で車の運転が得意
- 出生地:台湾・台北市
2歳の時にGHQの報道工作をしていた父の仕事の都合で、
日本に来日したジュディさん。
小学校は中国語を標準語として使われていた、
東京中華学校に入学しました。
この頃には家庭教師をつけて、
英語を勉強しており、
「ジュディ」という名前は、
この家庭教師が名付けたそうです。
一方で家庭では、
両親の母国語でもある台湾語を使用し、
また大学ではスペイン語を習得していることから、
日本語・台湾語・中国語・英語、
そしてスペイン語の5か国語が話せるそうです!
出身大学は?
ジュディさんはASIJ(アメリカンスクール・イン・ジャパン)という、
外国人向けのナショナルスクールに通って英語力を磨いた後、
上智大学に入学。
国際学部を卒業されました。
ジュディさんも上智大学卒なんですね!
※上智大学在籍・卒業生の記事はコチラ
ジュディ・オングのデビューや代表作は?
9歳の頃より、
芸能活動をしながらも、学業をきちんと終わらせること
これを条件に、
劇団ひまわりに入団したジュディさん。
1961年に日米合作映画【大津波】という作品で、
映画デビューしました。
また歌手としては、
1966年【星と恋したい】でデビュー。
翌年発売された、
【たそがれの赤い月】がスマッシュヒットし、
この頃は主に演歌調の曲が多かったそうです。
その後1970年代頃からポップス調の曲も歌うようになり、
1973年【赤い殺意】の主題歌、
【愛は生命】がヒット。
そして・・・
ジュディさんの代表曲といえる
【魅せられて】
この歌は1979年に、
ワコールのCMソングとして発売されましたが、
あの特徴的な衣装が印象的で、
200万枚の大ヒットとなりました!
「Wind is blowing from the Aegean」と歌いながら、
袖が扇状に広がっていく姿は筆者もよく覚えており・・・
シーツで真似したという人も少なからずいたのではないでしょうか^^
ちなみにこの衣装ですが、
実はジュディさんがデザインをしたものだそうです!
よく真似された?有名なシーン!
ちなみに。今ではシーツで真似しなくても!?(笑)
【魅せられて】光る羽の衣装、
これのコスプレが出来るアイテムが売っているんですねー!
ところでジュディ・オングさんといえば【魅せられて】の印象が強すぎて、
歌手というイメージしかなかったのですが、
実は女優としても活躍されているんですよね。
主に1960年代後半から70年代にかけて、
映画やドラマ、時代劇になどにも数多く出演され、
とても人気がありました。
ただその作品の多くは筆者の生まれる前だったり、
幼かったころのものだったので・・・
ジュディさんが出ていた作品は見たことがなかったので、
今回調べるまで知りませんでした^^;
意外なところでは【サイボーグ009】で初代003の声を担当していました!
それでは次のページでジュディさんの結婚や、
愛犬について触れたいと思います。
次のページへ!