2016年七夕に83歳で亡くなった、
永六輔さん。
筆者は永六輔さんのラジオ【誰かとどこかで】をよく聴いていたので、
亡くなった時は・・・小沢昭一さんに続いて、
大好きなラジオパーソナリティがまたひとりいなくなったことに、
とても悲しかったことを思い出します。
さて今回永六輔さんのお孫さんである、
永拓実さんが【爆報!THEフライデー】に出演されるのですが、
ピーコさんの恋愛話を永拓実さんが聞きだした、
というので・・・
一体どうして?
そんな禁断な恋の話を聞くことができたのか?
番組の予告を見ただけで、
気になって仕方ないのですがw
そんな永六輔さんのお孫さん・永拓実さんについて、
今回は調べてみたいと思います。
(主な内容)
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永拓実 wiki風プロフィール
永 拓実(えい たくみ)
(Twitterより)
- 生年月日:1996年生まれ
- 本名:岡崎拓実
- 学歴:東京大学文科Ⅱ類
- 母親:永麻理(フリーアナウンサー)
- 兄:育之介(俳優)
- 受賞歴:2016年JTB交流文化賞最優秀賞
永拓実さんについて分っていることは、
現役の東大生ということ!
また生年月日ですが、
生まれ年の1996年以外は不明でした。
ちなみに高校はというと、
ネット情報によると国学院久我山高校という学校で、
バスケ部に所属されていたという情報があります。
また「永」という名字。
永六輔さん本名であるものの、
娘である麻理さんは現在「岡崎」という名字ということから、
永拓実さんは本を執筆される上でのPNで「永」の名字を使われていて、
実際は「岡崎」という名字かと思われます。
ところでお孫さんである永拓実さんが注目されたのは、
祖父である永六輔さんについての本を執筆されたことにあります。
それが【大遺言~祖父・永六輔の今を生きる36の言葉~】
この本は、
祖父である永六輔さんが遺した著書や手紙、
ノートに至るまでを読み漁り、
永六輔さんゆかりのある人物を訪ねて話を聞いて書いた本で、
永六輔さんが遺した言葉の中から、
永拓実さんが36の言葉を選んでいるとのこと。
永六輔さんの発した言葉というのは、
有名人・著名人やまたラジオのリスナーまでと、
本当に色んな人が永六輔さんの言葉に救われ、
そして人生が変わりその後人生が充実したとありますが、
その言葉によって人生や仕事が激変したひとりの中に、
ピーコさんのお名前もあるので、
そう言った絡みもあって、
今回の【爆報ー】で、
永拓実さんがピーコさんの恋愛話を聞くことが出来たのかも?
しれませんね。
そしてこの本に書いてある、
孫の拓実さんがえらんだ永六輔さんの36の言葉。
ぜひこの本を手に取って、
自分が思い悩んだ時に見てみたいと思います。
永拓実と大野智の関係は?
ところで永拓実さんを調べると、
なぜか・・・嵐の大野智さんの名前が出てくるので、
これがちょっと個人的に気になったのですが。
調べてみたところ、
ご紹介した永拓実さんの著書に、
「嵐の大野智さんに助けられた思い出」
ということが記載されており、
それによると、
永拓実さんが小学生のころお店で迷子になり、
不安でいっぱいだったところに、
偶然出くわした嵐の大野智さんに助けられた、
というエピソードが書いてあります!
すでにジャニーズとして活躍していた大野智さんが助けてくれたという、
このエピソードは、
後に永拓実さんが「人助けをしたい」といった、
ご自身の人間形成に大きな影響を受ける出来事になっているとのことなので、
それだけに、
この助けてもらった思い出というのは強く心に残っているのでしょうね。
永六輔さんってどんな人?
最後に永六輔さんについて、
簡単にご紹介したいと思います。
永 六輔(えい ろくすけ)
- 本名:永 孝雄(えい たかお)
- 生年月日:1933年4月10日
(2017年7月7日没) - 出身:東京都台東区
浅草・最尊寺の次男 - 最終学歴:早稲田大学第二文学部 中退
永六輔さんが放送の世界に入ったキッカケは、
戦後間もない中学生の頃にNHKラジオ【日曜娯楽版】へ、
コントを投稿したところ頻繁に採用されるようになり、
そこから高校時代には三木鶏郎さんという、
【日曜娯楽版】の発案者を師とし、
放送局で働くようになったそうです。
そうして大学に進学した永六輔さんは、
その頃にはすでに放送作家として活躍されていましたが、
台本を書くより自分で喋ってしまったほうが早い
(出典:https://www.rokusuke-ei.com/blank-1)
ということから、
作家として携わっていたラジオ番組に、
自分が出演して喋るようになったとのこと。
今でこそラジオ番組というと、
フリートークが当たり前だと思いますが、
永六輔さんが出演した【昨日のつづき】という番組が、
日本で最初のフリートークの番組になったそうです!
ところで永六輔さんといえばラジオの印象が強いのですが、
テレビとも深い関わりがあり、
なんと!テレビの実験放送の時代から関わってこられ、
そして本格的にテレビ放送が開始されると、
【夢で逢いましょう】を始め、
数々の番組を手掛けてこられました。
また・・・永六輔さんといえば!
昭和歌謡の数々のヒット作を生み出した、
作詞家でもありますよね!
世界中でヒットした坂本九さんの、
「上を向いて歩こう」や、
「こんにちは赤ちゃん」などなど・・・
幼い頃から一度はどこかで耳にしたことがある、
日本の歌謡曲を代表する歌の詞を多数書かれていますが、
日本人ならきっと誰もが聴いて、
すぐその情景が思い浮かぶような・・・
とても分かりやすい言葉であるがゆえに、
人々の心に深く残るという、
そんな歌詞を書いてこられていますよね。
さて永六輔さんといえば!
やっぱり筆者はラジオです^^
永六輔さんはなくなる10日前まで、
ご自身の冠番組である【六輔七転八倒九十分】の終了まで務めた、
ということなので、
パーキンソン病ばどといった病気と闘いながらも、
生涯現役を貫いたことは、
永六輔さんらしいなーと思います。
筆者の住んでいる地域では、
【六輔七転八倒九十分】が聴けなかったので、
これがどんな番組だったのか?残念ながら知らないものの、
永六輔さんの冠番組のひとつ、
【永六輔の誰かとどこかで】という番組は放送されていたので、
(といっても途中で筆者の地域は打ち切りになってしまうのですが・涙)
これを仕事中によく聴いていました^^
永六輔さんと相方アシスタントの遠藤泰子さんが、
時には終始大笑いしながらトークしたり、
時には考えさせられる内容だったり・・・
その中でも面白エピソードに、
永六輔さんが外国人のヘルパーに介護を受けた話があるのですが、
その外国人が「ワタシの国で人気のある歌」、
ということで、
坂本九さんの「上を向いて歩こう」を歌い、
こともあろうか・・・
この曲を作った作詞家である永六輔さんに、
「この歌知ってるか?」と聞かれたというエピソード。
これを永六輔さんが面白おかしくラジオで話すので、
車の中で大笑いしましたよww
そんな永六輔さんと遠藤泰子さんのフリートークが楽しかったこの番組。
毎週金曜日リスナー日常の風景などをハガキを読み上げるコーナー、
「七円の唄」も楽しみのひとつでしたし、
後に「五十円の小言」というコーナーが誕生するのですが、
これはリスナーが感じた苦言などをハガキで投稿するコーナーで、
そのリスナーが苦言する内容について永六輔さんが述べる感想が、
これまた面白かったのです!
ちなみに「七円の唄」の「七円」ですが、
このコーナーが開始した当初(1967年)のハガキの値段に由来している、
ということなので、
筆者の生まれる前からやっていたコーナーだった、
というのもスゴイですよね!!
聴いていた当時はハガキの値段・・・既に50円でしたからね☆
そうそう。
永六輔さんといえば筆者は実際に一度、
生トークの舞台を拝見したことがあるのですが、
内容は忘れましたが・・・
確か先日亡くなった野村沙知代さんの騒動、
「ミッチーサッチー騒動」のことをについて、
それの裏話みたいなのをおもしろおかしく話しているのを見て、
それまで何となくしかラジオを聴いていなかったものの、
この生トークを見て永六輔さんのファンになりましたね(笑)
そんな軽快なトークで、
リスナーを楽しませてくれた永六輔さんですが、
晩年は病気の影響もあって、
滑舌が悪くなったことに心配していました・・・
そういえば永六輔さんは、
インターネットや携帯電話が大嫌いと公言していたことでも、
少なくともリスナーの間では有名でしたが、
現在はご遺族の方が、
永六輔さんのホームページを制作されていますので、
永六輔さんの詳しいプロフィールや著書、
そしてこれまで手掛けた楽曲などの作品がまとめてありますので、
良かったらご覧になって見て下さいね^^
長くなってしまいましたが、
今回再び・・・永六輔さんのお孫さんである、
永拓実さんがテレビ登場ということで、
また永六輔さんのことを思い出し懐かしく思う方も多いかと思います。
本題はピーコさんの過去の熱愛についてですが、
その中で永六輔さんとのエピソードも聞けるかなと、
ちょっと期待しています!!
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