世界中で大ヒットし、
アニメもいくつものシリーズが放映されている、
【ドラゴンボール】!
割と最近まで、
【ドラゴンボール超】が放映されており、
長い年月を経てもなお、
あらゆる世代の人に愛されている作品だということが伺えます。
さてアニメというと、
その主題歌というのも記憶に残るところですが、
【ドラゴンボール】の主題歌といったら、
おそらくですが・・・
この歌を思い浮かべる人が多いのでは?
「CHA-LA HEAD-CHA-LA」!
そう。
アニメシリーズ、
【ドラゴンボールZ】の主題歌ですよね!!
この歌を歌っている影山ヒロノブさんが今回、
半生を綴った著書を発売されたことで話題になっているようです。
そこで今回は、
「アニソン界のプリンス」という異名を持つ、
影山ヒロノブさんについて調べてみました!
影山ヒロノブ、プロフィール
(ウィキペディアより引用)
影山 ヒロノブ(かげやま ひろのぶ)
- 本名:景山 浩宣
- 別名義:山景 宣浩 KAGE
- 生年月日:1961年2月18日
- 血液型:A型
- 身長:164cm
- 学歴:大阪市立南田辺小学校→
大阪市立田辺中学校→
明治大学付属中野高等学校定時制 卒業
(現在の大阪府教育センター附属高等学校から編入) - 出身:大阪府大阪市東住吉区
実家は理髪店をしているという、
影山ヒロノブさん。
16歳の時に同級生とバンドを組み、
かまやつひろしさんに認められて、
バンドのメンバーとともに上京し、
1977年にプロデビューしました。
しかし結成しプロデビューしたバンド、
「LAZY」が1981年に解散するのですが、
解散してソロ活動を始めたばかりの頃は、
ライブを開くと多くのお客さんが来ていたのが、
次第にお客さんの数が減っていき・・・
更には、
レコード会社の契約を切られ、
プロダクションもクビになるという、
どん底の歌手生活を送っていた時期があったそうで、
アーティストとしての年収が7万円という時期もあったとか?
そして生活を支えるため、
22歳から37歳までの間・・・なんと!
建設現場でアルバイトをされており、
その合間にライブ活動もされていたとのこと。
そんな影山ヒロノブさんが、
どうしてアニソンを歌うことになったのかというと、
1985年レコード会社を移籍したときに、
「KAGE」という名義で、
【電撃戦隊チェンジマン】の主題歌を歌ったことが、
アニメや特撮ものの主題歌を歌うようになったそうです。
なので最初からアニメソングを歌っていたわけではないんですね!
さて影山ヒロノブさんの知名度がグンと上がった曲、
といえば・・・
アニメ【ドラゴンボールZ】の主題歌!
歌われた「CHA-LA HEAD-CHA-LA」はなんと、
170万枚のセールスとなって大人気となりました。
ちなみにこの歌が発売されたのは1989年なんですが、
筆者が個人的に影山ヒロノブさんを知った曲は、
どちらかというと・・・
コチラ!
1988年に発売されたアニメ【聖闘士星矢】のオープニング、
「聖闘士神話 〜ソルジャー・ドリーム〜」
(YouTubeより)
懐かしいww
コッチも名曲ですよね♪
影山ヒロノブ、妻や娘は?
ところで影山ヒロノブさんは2018年5月現在、
57歳ということですが、
既婚者ということで、
娘が2人いるそうです。
それも長女は声優の、
景山梨彩(華山梨彩)さんで、
次女がバックダンサー・コレオグラファーの、
景山菜奈さん!
影山ヒロノブさんは歌手なのでちょっと職種は違いますが、
娘さんたちは同じ業界で活躍しているんですね!
小さい頃から父親が歌っている姿を見て育ってきたという影響は、
大きいのでしょうね。
ちなみに影山ヒロノブさんの妻についてですが、
情報が特に見つからないことから、
おそらく一般の方だと思われます。
さて最初はバンドとしてデビューし、
バンドが解散してもなかなか売れず、
アルバイトをしながら、
歌を続けてきた影山ヒロノブさん。
2017年にはデビュー40周年を迎え、
今やアニソン歌手と言えば影山ヒロノブ、
と言われる程の存在となりました。
そんな影山ヒロノブさんが、
これまでの半生をまとめた著書を出されましたが、
それによると、
なかなか世に認められず、
アルバイトをしながら好きな歌を続けた結果、
こうして「アニソン」という世界で成功した、
影山ヒロノブさんのこれまでを綴った自叙伝となっているとのこと。
これは読むと勇気づけられそうな気がしますね^^
また40周年を記念して、
BESTアルバムも発売されているので、
【ドラゴンボール】以外の影山ヒロノブさんの歌を色々聴いてみたい人は、
ぜひチェックしてみて下さいねっ
これからも影山ヒロノブさんには、
その元気な歌声をいつまでも聴かせてほしいと思います^^