2019年4月に岡村孝子さんの急性白血病が発表されましたが、
病状がとても心配ですね・・・
岡村孝子さんは「夢をあきらめないで」や「believe」など、
筆者も大好きな歌を歌われている方なので、
1日も早く病気が治り復帰されることを願っています。
さて岡村孝子さんといえば、
女性デュオ「あみん」としてデビューされたことでも有名ですが、
「あみん」で岡村孝子さんの相方だった方・・・って、
誰でしたっけ^^;
「あみん」が「待つわ」でヒットした頃は筆者も小学生だったのですが、
「あみん」のメンバーって誰なのか?当時は全く知らなかったし、
そもそも「あみん=岡村孝子」というのを知ったのも、
岡村孝子さんの歌がヒットしてだいぶ経ったあとだったので、
その岡村孝子さんの相方って誰なのか?
すぐに思い浮かばなかったので・・・調べてみたところ、
加藤晴子さんという方なんですね。(今更ですみません)
ということで今回は、
岡村孝子さんと一緒に「あみん」として活動していた、
加藤晴子さんについて調べてみたいと思います。
≪主な内容≫
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あみん・加藤晴子プロフィール
それでは加藤晴子さんってどんな方なのか?
Wikipediaなどを参考にしながら、
プロフィールをみていきましょう。
加藤 晴子(かとう はるこ)
- 生年月日:1963年1月2日
- 学歴職歴:豊川小→東部中
→愛知県立小坂井高等学校
→椙山女学園大学※大学在学中に音楽活動(後に引退)
→テレビ東京に就職 - 出身:愛知県豊川市
加藤晴子さんは元々音楽をされたことがなく、
高校ではテニス部に所属されていたそうです。
そして入った大学で、
岡村孝子さんとは同級生として知り合いましたが、
岡村孝子さんが1年浪人して入学していることから、
年齢はひとつ違いになるんですね。
大学の入学時に岡村孝子さんが加藤晴子さんに、
履修届の書き方を聞いたことが出会いのキッカケだったのですが、
さらに音楽が好きという共通点から意気投合した2人は、
急速に親しくなり、
2人で、
「ヤマハポピュラーソングコンテスト」を目指すことになるんですね。
そこで音楽経験のなかった加藤晴子さんは、
大学の裏山などで歌の練習を重ね、
コンテストでグランプリを獲得した加藤晴子さんは、
大学在学中に岡村孝子さんと共に、
「あみん」としてデビューしました。
それにしても、
女子大生二人が音楽コンテストでグランプリを獲るということは、
岡村孝子さんの音楽の才能はもちろんのこと、
音楽経験がなかったという加藤晴子さんが、
人一倍努力されたことも、
こうした結果に繋がったのでしょうね。
ですが・・・デビューして「待つわ」が大ヒットし、
「あみん」として人気が出たものの、
加藤晴子さんは、
大学3年の時に就職活動に備えて学業に専念したいという思いから、
「あみん」は活動を休止してしまいます。
(ちなみに岡村孝子さんは大学を中退)
そして加藤晴子さんは音楽活動から引退し、
大学を卒業してテレビ東京に就職。
その後ご結婚されて、
娘さんがいるとのことです。
ちなみに加藤晴子さんの娘さんは、
かつて自分の母親が「あみん」として歌っていたことを知らなかったようで、
自宅に「岡村」と名乗る女性から電話がかかってきても、
それが有名な「岡村孝子」さんだということを知らなかった、
という有名なエピソードがありますが、
それだけ加藤晴子さんが長年、
一般人として普通に暮らしてきたということが伺えますね。
女性デュオ「あみん」について
ここで女性デュオ「あみん」について、
もう少し詳しく書いていきたいと思います。
まずこの「あみん」という名前ですが。
名前の由来は、
岡村孝子さんが歌の世界に興味をもったキッカケとなったのが、
さだまさしさんの「雨やどり」という曲だったそうですが、
そのさだまさしさんの「シナモンとパンプキンパイ」という曲の中に、
「喫茶店・安眠」というのが出てくることから、
ここから「安眠→亜未夢→あみん」となったんだとか。
ちなみに漢字表記の「亜未夢」。
これは「あくむ」と誤解されて読まれることが多かったことで、
平仮名表記になったみたいです。
さて岡村孝子さんが作詞作曲し、
2人で歌うというスタイルのデュオとして、
大学在学中の1981年。
「第22回ヤマハポピュラーソングコンテスト」に出場した「あみん」は、
中部北陸大会で優秀曲賞を受賞するといった快挙を成し遂げたものの、
残念ながら本選出場には至らず。
ちなみにこの時同じブロックからの出場し本選にてグランプリ獲得したのが、
アラジンの「完全無欠のロックンローラー」だったそうですね!?
・・・この歌もスゴク人気あった曲でしたがw
実は「あみん」と同じ土俵で競っていたなんて。
意外ですよねー^^
前の年に強力なライバルによって本選出場できなかった「あみん」は、
翌年のリベンジでは・・・後に大ヒットとなる「待つわ」で出場したところ、
これが結果的に本選出場を果たし、
グランプリを獲得することとなりました。
そしてこの「待つわ」でデビューすることになった「あみん」ですが、
この曲がミリオンを達成するという大ヒット曲となったことで、
現役大学生だった2人は、
学校と仕事で上京するといった生活を送っており、
とても多忙な日々を送っていたとか・・・
しかしこの忙しさから、
学業と仕事との両立の厳しさに加え、
自分の才能との葛藤から加藤晴子さんは、
学業に専念したいと決意。
デビューして年末の紅白歌合戦への出場まで果たした「あみん」は、
活動休止することになりました。
ちなみに「あみん」は、
解散・・・ではなく休止だったと表記されているのですが、
筆者的には加藤晴子さんは芸能界引退していたので、
「あみんは解散」したと思っていました。
ですが「あみん」は、
2007年に再結成しており、
その後に紅白歌合戦への出場も果たしていたんですね!
「あみん」が活動休止し、
岡村孝子さんが大学を中退した後も2人はずっと交流を続けており、
加藤晴子さんを再び歌の世界へ誘ったのも、
岡村孝子さんが声をかけたことがキッカケだったそうです。
なので今回の岡村孝子さんのご病気のことで、
加藤晴子さんは誰よりもご心配されていることと思います・・・
加藤晴子、今現在は?
長年一般人として過ごしていた加藤晴子さん。
岡村孝子さんに声をかけられたことで、
再び「あみん」として活動することになったものの、
加藤晴子さんにはSNSなどの情報がないので、
活動の詳細は分かりませんが、
「宝くじまちの音楽会」というコンサートに、
加藤晴子さんはゲストで出演し「あみん」として歌を歌っているそうです。
ですが岡村孝子さんがしばらくの間、
病気治療に専念されるため、
「あみん」としての活動も当面の間休止されると思いますが、
また再び、
お2人のステキな歌声が聴ける日を心待ちにしています。
興味深い記事で楽しませていただきました。きっかけも解散もシモンズのようですね。僕はシモンズとあみんの調度中間の世代なんですが富士市の社員寮に居た20代の頃、同期の男性が東海道線車内であみんと同席になったと言うので羨ましいと。東京と愛知をよく行き来されていたんでしょうね。
コメントありがとうございます^^
そしてこれは、「あみん」の人気絶頂時の貴重な裏話ですね!
岡村孝子さんの病気療養後の話はまだ見られませんが、またいつか「あみん」の復活を見てみたいと思います。
とにかく、ありがとうございます!
たぶん、筆者の方と同世代だと思います。
洋楽8割の私が不意にゴダイゴのガンダーラを聞いたところ、あみんの「まつわ」を聴くことになりました。
子供の頃には分からなかったハモりの素晴らしいこと。50歳目前ですが、聴いてて鳥肌がたちました。
「あみん」をウィキっていて貴方の記事を拝見させて頂きました。椙山大学の事、あみんの由来、そして御二方の近況。今更ですが、「あみん」の素晴らしさを知って、ファンになりました!
本当にありがとうございます!涙です!このような記事を書いていただき、辿り着くことができ、感謝です!
また、こんなSNSの発達した時代に生きていることに感謝です!ありがとうございます!