岡田有希子、芸能界を目指すキッカケとは?
岡田有希子さんは絵を描くのが好きだった一方で、
芸能界にも憧れがありました。
小学2年生からは、
合唱部に所属していたようなので、
そのせいもあって、
歌も上手だったんでしょうね。
また小学6年の頃に出演した、
学芸会の演劇では、
役作りのために、
【ベルサイユのバラ】のマリーアントワネットを、
必死で研究して練習をし、
その成果もあって、
この学芸会では校長先生が走って見に来るほど、
評価の高いものだったようです。
中学生になると、
「ホリプロスカウトキャラバン」や、
TVドラマのオーデションなどに応募するようになり、
NHK【中学生日記】に出演していたことも!?
そして、
「ニコン フレッシュギャルコンテスト」に応募した時は、
準グランプリを獲得!
中学3年の時には、
このコンテストがキッカケで、
写真のモデルにもなりましたが、
これだけの活躍だけでは、
芸能界デビューには繋がらなかったようです。
岡田有希子デビューまでの道のり
岡田有希子さんは当時人気だった、
オーデション番組【スター誕生】に、
中学3年の時に出場しますが、
「中学2年で出場して中学3年でデビューする」
そんな目標を立てていたようで、
中学2年の時に応募した、
【スター誕生】の予選会通知が来たのは、
その1年後・・・
ということで、
岡田有希子さんの計画から1年遅れての、
チャンス到来となりました。
ところが・・・
家族や学校の先生から、
この【スター誕生】の出場を反対されてしまいます。
学校を休んでまで、
名古屋地区予選に出場し、
決選大会に進んだものの、
決選大会に出場することが出来ず、
岡田有希子さんは、
食事もせず部屋に閉じこもり、
ハンストしてしまいます。
そこで母親が、
芸能界入りの条件を出したのですが、
それが・・・
- 学内テストで学年1位になること
- 中部統一模擬試験で学内5位以内に入ること
- 第一志望の向陽高校に合格すること
この3つの条件だったとのこと。
岡田有希子さんは成績がとても良かったのですが、
この条件をクリアするのはとても厳しかったそうです・・・
しかし!
猛勉強してこの条件を全てクリア!!
それに加え、
所属事務所となる、
サンミュージックの専務と、
番組プロデューサーの説得もあって、
1983年3月、
決選大会に出場し、
中森明菜さんの【スローモーション】を歌いました。
中森明菜さんのこの歌で、
チャンスをつかんだ!?
結果は後日発表ということでしたが、
岡田有希子さんが高校へ入学して間もない頃、
電話にて「合格」が伝えられ、
芸能界デビューが決まりました!
それにしても岡田有希子さんは、
自分の目標をしっかりと立てて、
夢に向かって一生懸命頑張っていたんですね。
しかし・・・
後の悲劇を考えると、
芸能界入りして良かったのかな・・・?
なんて考えてしまいますよね。
次のページでは、
岡田有希子さんの
アイドルとしての活躍について、
まとめました!