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北尾光司の妻が爆報に出演!元横綱・双羽黒の死因は?

2019年2月に亡くなった、
元横綱「双羽黒」(きたはぐろ)こと北尾光司さん。

まだ55歳と言う若さでお亡くなりになったことは本当に残念ですよね。

その北尾光司さんの妻が、
2019年6月28に放送される【爆報!THEフライデー】に出演し、
晩年とその最期が語られるそうですが、

北尾光司さんの妻とは一体どんな方なのか?

調べてみたいと思います。

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北尾光司(双羽黒)プロフィール

北尾光司(きたお こうじ)

  • 横綱時代の四股名:双羽黒 光司
    ※第60代横綱
  • 生年月日:1963年8月12日 –
    ※2019年2月10日 没
  • 身長:199cm
  • 体重:151kg
  • 学歴:津市立敬和小学校
    →東橋内中学校
  • 出身:三重県津市

幼少期は父親の影響で柔道をやっていた北尾光司さんですが、
小学校に土俵が出来たことで相撲を取るようになり、

地元の相撲大会で優勝するなど活躍していくうちに、
地元では対戦相手がいなくなるくらいに強くなったのだとか。

そして中学生の頃から、
夏休みになると立浪部屋に泊まり込みで稽古するようになるのですが、

この時には同じ中学生には十分となる相手がいなく、
高校生相手に試合をするものの負けないくらい、

学生の頃からとにかく強かった、
北尾光司さん。

その強さが角界で評判になったこともあり、

両親は高校進学を望んだものの、
5年で関取のならなかったら辞めるという条件で、

北尾光司さんは中学卒業後、
立浪部屋に入門されました。

そうして1979年に初土俵を踏んだ北尾光司さんですが、

この時初土俵を踏んだ昭和38年生まれの大相撲力士のことを、
「花のサンパチ組」と呼んでいたそうで、

北尾光司さん以外では、

  • 北勝海信芳
  • 小錦八十吉
  • 寺尾常史
  • 琴ヶ梅剛史
  • 孝乃富士忠雄

などといった方々が、
1980年代後半から1990年代にかけて相撲界で活躍されていました。

 

さて北尾光司さんは体格にも恵まれていて、
しかも素質は十分あることから、

相撲界で期待されていた逸材だったのですが、

その一方で、
稽古がキツイとすぐ音をあげて「痛い痛い」と言ったり、

なにかあるとすぐ、

故郷に帰らせていただきます

そう言って部屋から出ていくというー

わがままな一面があったという北尾光司さん。

ですが持ち前の恵まれていた体型と素質があったからこそ、
1986年初場所後には大関へ昇進、

同じ1986年で22歳で迎えた名古屋場所では、
何十年?にひとりという逸材で横綱に昇進され、

とにかくトントン拍子に出世していきました。

 

ですが・・・
横綱になってわずか8場所の在位期間で、

なんと北尾光司さんは横綱を辞めることになったのです。

その理由というのが・・・「ちゃんこ」!?

ちゃんこの味付けを巡って師匠と対立した挙句、
北尾光司さんは部屋を出ていってしまうといった、

トラブルを起こしたことが原因で、

北尾光司さんは相撲を廃業することになりました。

 

恵まれた才能を十分生かすことが出来ないまま、
北尾光司さんは相撲界を去ったわけですが、

元千代の富士・九重親方も、
北尾光司さんがいたら自身もここまで活躍は出来なかったかもしれないと、

そう語っているくらい、
スゴイ逸材だったことが分かるだけあって、

トラブルで廃業したということは本当に勿体ないですね。

 

さて北尾光司さんはその後、
「スポーツ冒険家」という肩書でしばらくタレント活動した後、

相撲を廃業して約2年後。

1990年2月にプロレスデビューし、
更にはSWSへの参戦するといった活躍をしますが、

ここでもトラブルを起こして一度は辞めているんです。

ですがその後、
再び総合格闘家へ転向しプロレス復帰した後からは、

以前のようなトラブルを起こすような態度も取ることはなく、

また1994年には格闘技塾として、
「北尾道場」を旗揚げし弟子の育成なども行っていた北尾光司さんは、

1998年「PRIDE.4」にて引退セレモニーを行い、
格闘技から現役引退。

 

それから5年後、
フリーな立場でありながら2003年には、
短期間ではありますが代が替わった立浪部屋の、
「第7代立浪部屋のアドバイザー」に就任するなど、

トラブルを起こしてきた相撲界とも、
関係が改善されていったそうです。

 

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北尾浩司の闘病と死因は?

トラブル続きだった北尾光司さん。
日本相撲協会との関係も改善され順調だったのですが・・・

実は北尾光司さん、
糖尿病を患っていたらしく、

2010年代前半(2013年?)あたりからかなり腎臓が悪かったようで、

寝たきりに近い状態となったことから、
トイレに行くにも家族の介助が必要な状態となり、

また亡くなる5年ほど前からは千葉県内の病院に入院しており、
2018年秋からは人工透析を受けていたとか。

しかも糖尿病の末期症状で、
目が見えなく意識朦朧とした状態が続いていたそうです。

 

そうした闘病生活を経て、
2019年2月10日に北尾光司さんは慢性腎不全で亡くなり、

家族のみで葬儀が行われ、

3月28日に納骨が済んだ後、
訃報が公表されました。

 

まだ55歳・・・
若すぎる死だったわけですが、

闘病生活の間は相撲協会を始め、
誰とも音信不通になっていたということなので、

きっと誰にも、
弱っていく姿を見せたくなかったのかもしれませんね。

 

そして誰も知らないところで闘病生活を送っていたからこそ、

この知らせにみんな、
驚き悲しんだことと思います・・・

 

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

北尾光司、妻や娘について

最後に今回【爆報―】に出演される、
北尾光司さんの妻や家族についてまとめてみたいと思います。

北尾光司さんの妻は淑惠さんという方で、

精神科医をされている方なんだとか。

また娘さんがひとりいるとのことなんですが、
あるインタビュー記事によると娘さん・・・
美人なんだとか!

現在(2019年)24歳という娘さんは、
名前などは分かりませんが、

娘さんが物心ついたとき、
北尾光司さんはすでに相撲も格闘技もやっておらず、
パソコン関係の仕事で稼いでいたという話があり、

また多趣味で、
ナイフ・刀・エアガン召集をしていたことから、
専門雑誌に寄稿していたこともあったのだとか。

そして北尾光司さんが元気な時には、
旅行へ行ったりゲームを一緒にやったりと、

娘さんにとっては優しくていいお父さんだったようです。

ですが・・・
亡くなる前北尾光司さんは意識朦朧として目も見えなくなっていたので、
お見舞いに来た娘さんのことが分からない状態だったとか。

北尾光司さんの晩年は、
本当に病気との闘いで辛いものだったようですね。

 

今回放送される【爆報ー】では、
「スターの死の真相2時間SP」と題して放送されますが、

北尾光司さんの、
闘病生活や最期の様子などが妻の淑惠さんによって語られる、
とのことなので、

番組の内容に注目したいと思います。

 

 

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