2016年10月7日の【爆報!THEフライデー】は、
「疑惑の真相直撃&あのメダリストは今…大追跡」!
「疑惑の真相直撃」については、
高樹沙耶さんが登場されるそうですが、
メダリストについては、
どんな方が取り上げられるのか?
調べたところ・・・
ソウル五輪・レスリング48Kg級金メダリスト、
小林孝至さん。
そして、
東京五輪・女子バレーボール金メダリスト、
東洋の魔女のひとりだった、
佐々木節子さんが取り上げられるそうです!
かつての金メダリストがどんな告白をされるのか?
そして現在の様子はどうなのか・・・
気になりますよね??
そこで今回は、
筆者の生まれる前に活躍したという、
佐々木節子さんについて調べてみました。
≪主な内容≫
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佐々木節子プロフィール
佐々木 節子(ささき せつこ)
- 生年月日:1944年10月16日
第二次世界大戦の末期にお生まれのようですね!
戦後の混乱期を過ごされて苦労されたことと思います・・・ - 身長:173cm
今では170cm越の身長も珍しくないと思いますが、
当時にしてはおそらくかなり背が高かったでしょうね。 - ポジション:エース
- 主な国際大会の出場歴
1964年:東京五輪
1667年:世界選手権 - 出身:茨城県
佐々木節子の学歴は?
佐々木さんは茨城県水戸市にある、
私立・大成女子高等学校の出身だそうです。
コチラの学校は、
茨城県内で最も古い私立高等学校で、
バレーボールの強豪校でもあるとか?
そのせいもあって、
数多くの女子バレーボール選手を輩出しているようです。
さて佐々木さんは大成女子高等学校から、
「日紡貝塚(ニチボー貝塚)」という女子バレーボールチームに所属。
こちらのチーム「日紡貝塚」についてですが、
現在は「ユニチカ」という会社名ですが、
佐々木さんが所属していた当時は、
「大日本紡績」という社名の繊維メーカーだったそうで、
「日紡貝塚」は、
この会社に所属し大阪府貝塚市を拠点として活動していた、
女子バレーボールチームとのことです。
ちなみにこのチーム名は、
会社の合併などで名前がいくつか変わっており、
最終的には1991年、
「ユニチカ・フェニックス」となりました。
しかし長期に渡る経営不振から、
コチラの会社の貝塚工場が操業停止したことを受けて、
バレーボールチームも活動を休止。
その後東レ滋賀事業場が選手全員を受け入れを発表したことにより、
チーム全体で東レ・アローズへ移籍しました。
東レ・アローズといえば、
Vプレミアリーグに所属し、
最近ではリオオリンピックでも活躍した、
木村沙織選手や迫田さおり選手が所属しているチーム、
ということでも有名ですよね?
スポーツに基本疎い筆者でも、
東レ・アローズという名くらいは知っていましたが、
このチームにこんな歴史があるとは・・・
今回初めて知りました。
ところで佐々木さんがチームに所属していたのは、
1963年から1967年の間だそうですが、
1959年から1966年もの間、
このチームは258連勝という記録を樹立しており、
佐々木さんが所属する前になりますが、
1961年の欧州遠征にて22戦全勝をするなど、
大活躍を果たし、
日本スポーツ賞を受賞!
1962年の世界選手権では、
日紡貝塚単独編成の全日本選手で優勝したそうです。
更に1964年の東京五輪では、
ほとんどが日紡貝塚の選手で編成された中での、
金メダルということだったそうです。
そして佐々木さんは東京五輪の時に、
コチラのチームに所属して活躍していた選手のひとりで、
将来性を評価されて五輪代表入りを果たしました。
それにしても、
とんでもなく強いチームに所属していたんですねww
ところで世界を相手に勝ち続けたことで、
佐々木さんを始め、
日紡貝塚の女子バレーボールチームは、
「東洋の魔女」と呼ばれるようになったそうですが。
【東洋の魔女】についてや、
佐々木節子さんの現在については、
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