東洋の魔女って何?
ところで、
女子バレーの五輪といえば、
よく耳にするのが、
「東洋の魔女」というネーミングですよね?
この「東洋の魔女」ですが、
東京五輪で金メダルを獲ったことで付けられたかと思いきや、
実は・・・
1961年の欧州遠征で22連勝したことでついたネーミングだそうです。
この時に日紡貝塚の選手の偉業を称える意味で、
「東洋の台風」「東洋のまほうつかい」などといわれており、
1962年の世界選手権では、
日紡貝塚はすでに「東洋の魔女」として恐れられていて、
この大会で日本は団体競技の世界大会で初めて優勝しました!
そして佐々木さんも出場した、
1964年の東京五輪!
この時から正式に種目に加わった女子バレーですが、
五輪に向けて佐々木さんを始め日紡貝塚の選手は、
午前中は仕事をし、
15:00からなんと!深夜26:00まで、
練習をしたそうです!?
深夜まで練習をして、
翌朝には仕事とは・・・
とてもハードな日々を送っていたんですねw
その努力が実り、
東京五輪では全5試合中、
落としたのは1セットのみという、
圧倒的な強さで金メダル!
ちなみにソ連との優勝決定戦は、
スポーツ中継歴代最高の、
視聴率66.8%を記録しました。
そしてこの時、
決勝戦の解説をしていたアメリカのテレビ局のコメンテーターが、
日本が攻撃するたびに、
「オリエンタル・ウィッチ」=「東洋の魔女」と連呼したことで、
このネーミングが知れ渡り、
東京五輪の女子バレーと言えば、
「東洋の魔女」のイメージが定着したようです。
そして圧倒的な強さで金メダルを獲得した女子バレーは、
後に空前のバレーボールブームが起き、
【サインはV】【アタックNo.1】といった作品が生まれました。
戦後の日本において、
スポーツで世界一となった女子バレーの活躍は、
世間に大きな影響を与え、
そして元気にしたことと思います!
佐々木節子の今現在は?結婚してるの?
東京五輪で金メダルを獲得した、
佐々木節子さんですが、
今どうされているのでしょうか?
【爆報!THEフライデー】の予告によると、
佐々木節子さんは現在、
3000坪の林の中であるものを拾って生活していた!
(Yahoo!テレビより)
「あるもの」を拾い、
それを売ったお金で生活している、
ということなのでしょうか?
その「あるもの」が何か?
とても気になりますよねww
しかも3000坪という広大な土地で、
一体何をされているのでしょうか??
現在のお姿と共に、
注目ですね!
コチラは2012年に公開された映画【ALWAYS 三丁目の夕日‘64】にて、
プレミアム試写会に登場したかつての東洋の魔女たち!
左から藤本佑子さん・佐々木節子さん・篠崎洋子さん・磯辺サタさん
ちなみに佐々木さん。
現在70歳を超えていますが、
独身とのこと。
※追記※
佐々木さんは現在、
茨城県かすみがうら市にて、
栗農家をされていました。
佐々木さんはバレー選手引退後、
バレーの指導者となりましたが、
母の世話をするために地元茨城へ戻りました。
そして栗を育て収穫し、
それを売って生活しているという佐々木さん。
その佐々木さん元へ毎年、
収穫の時期になると手伝ってくれているのが、
50年来の親友で、
やはり【東洋の魔女】のひとりだった、
篠崎洋子さん。
現在の佐々木さん(左)・篠崎さん(右)
さて今回の出荷量はというと、
2日間で44Kg。
1Kg500円くらいだったので、
単純計算で2万2000円だったようです。
栗の収穫時期は9月から10月中旬。
その時期に収穫した分トータルすると、
良い時期では50万くらいの売り上げになるとか?
天候に左右されることもあって、
大変なお仕事とは思いますが、
これからもお元気で頑張って欲しいですね^^
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