信者の会見から見えた【イエスの方舟】の実態とは?
世間では、
【イエスの方舟】の教祖の千石氏が、
「若い女性たちを言葉巧みに入信させ、
ハーレムを形成した」
などと言われており、
更に報道が過熱していくごとに、
「信者の女性たちは千石氏から、
ホステス勤めを強制されているのでは?」
「千石氏に日常的虐待を受けているのでは?」
などといった情報や見方が出てきましたが、
実際はこのような事実はなく、
そしてそれを証明するために、
信者が「誤解を解くために出てきました」
と言いうことで会見を開きました。
実態について信者は会見で、
「共同生活は楽しかった」
「私たちは千石氏を”責任者””おっちゃん”と呼んできた」
「親子の理解が浅かった。今でも千石氏以外、頼れる人はいない」
「自分を本当に理解してくれる人は責任者しかいない」
「ホステスは自分たちの考えで決めた。強制なんてされたことはない。責任者はキャバレー勤めにすごく胸を痛めていた」
(出典:http://yabusaka.moo.jp/hakobune.htm)
そのように話しており、
このことから、
千石氏は世間が思っていたような人物ではなく、
【イエスの方舟】の実態も、
マスコミや世間が思っていた団体とは違う、
ということが分かりました。
この騒動を受けて、
千石氏は警察に出頭をし、
また逮捕状が出ていましたが、
名誉棄損で書類送検されたものの、
この証言により不起訴となりました。
そしてこのことから、
【イエスの方舟】も、
沈静化されていきました。
さてここで、
千石イエス氏について、
簡単に紹介します。
千石イエス プロフィール
・本名:千石 剛賢(せんごく たけよし)
・生年月日:1923年7月12日
・出身:兵庫県加西市
裕福な農家に生まれ、
20歳の時に海軍に入隊。
終戦後は刃物工場を営んでいましたが、
経営に失敗。
てきや・レストランの支配人など、
職を転々とします。
宗教活動の一環で、
刃物とぎを行っていましたが、
刃物工場を営んでいた経験から、
行っていたのかもしれませんね?
職を転々とする一方で、
教会通いをしていたという、
千石氏ですが、
気の短い性格だったそうで、
20代の頃はケンカに明け暮れており、
常に何かに飢え、
怒っており・・・
「いつかは傷害事件を起こして死刑になるのでは?」
そう思っていたそうです。
千石氏は2度結婚しているようで、
再婚をした妻とともに、
1952年。
大阪で聖書研究会に参加します。
ここから聖書研究会の会員とともに、
【イエスの方舟】の母体が誕生していったようですね。
2011年12月11日、
福岡市内の病院で亡くなりました。(78歳)
ビートたけしとの関係は?
ところで、
【イエスの方舟】を調べると、
なぜか、
「ビートたけし」さんの名前が出てきますが・・・
何か関係があるのでしょうか?
これは1985年。
【イエスの方舟】の事件をもとに、
TBSがドラマ化したことによるもので、
このドラマの主演が、
ビートたけしさんでした。
ちなみにドラマは高い評価を受け、
「第1回芸術作品賞」を受賞しました。
CSのTBSチャンネルに、
このドラマのことが書いてあったので、
もしかしたら今でも見る機会があるかもしれませんね。
次のページでは、
事件のその後について調べてみました。