2017年2月9日の【徹子の部屋】
ゲストは兼高かおるさん!
懐かしいですね^^
兼高かおるさんといえば、
やはり!
【兼高かおる 世界の旅】
小さい頃見ていた、
そんな記憶がありますが、
改めて、
どんな番組だったのか?
気になります!
そこで今回は、
兼高かおるさんについてに加え、
【兼高かおる 世界の旅】って、
どんな番組だったのか?
調べてみました。
(主な内容)
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◇追記◇
【徹子の部屋】への出演時はお元気だった兼高かおるさんですが、
2019年1月5日。
心不全のため東京都港区にある高齢者施設でお亡くなりになりました。
90歳だったそうです。
女性の社会進出の先駆けともいえる存在であり、
まだ海外旅行へ行く機会が少なかった時代に世界各国の様子をTVで伝えてくれた、
兼高かおるさんの功績はこの先忘れることはないでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
※尚この記事の内容は2017年2月当時の内容となっておりますので、
ご了承ください。
兼高かおる プロフィール
兼高かおる(かねたか かおる)
- 本名:兼高ローズ
- 生年月日:1928年2月29日
- 学歴:香蘭女学校 卒業
➡ロサンゼルス市立大学へ留学
(体調不良のため2年で帰国) - 出身:兵庫県神戸市
- ジャーナリスト(ツーリストライター)
日本旅行作家協会 名誉会長
港区国際交流協会 会長
(受賞歴など)
- 1967年 :文化庁芸術選奨新人賞 受賞
- 1980年 :日本女性放送者懇談会賞
- 1985年 :外務大臣表彰 受賞
- 1990年 :菊池寛賞 受章
- 1991年 :文化庁芸術選奨文部大臣賞 受賞
- 1991年 :紫綬褒章 受章
- 2004年 :日本国際ツーリズム殿堂入り
兼高かおるはハーフ?父親は?
ところで兼高かおるさんの若い頃の画像など見ると、
鼻立ちがくっきりした美人で、
どことなくエキゾチックな感じですが、
実はハーフで、
父親はインド人だそうです。
昭和3年にお生まれ、
ということなのですが、
番組の予告に、
「戦争で夢断たれた少女時代」
そう書いてあることから、
戦争中は夢を叶いたくても、
実現できない、
辛さがあったことと思います。
ところで兼高かおるさんはタレントなのかと思っていましたが、
実はトラベルライターが本業とのこと。
今までなんと!
150か国以上渡航しており、
1958年に、
スカンジナビア航空が主催した、
「世界早回り」というものがあったのですが、
これに挑戦した兼高さんは、
73時間9分35秒という、
当時の新記録を樹立したそうです!
また1971年。
初めて南極点に到達した、
一般女性のひとりでもあります。
しかし・・・当初は、
1969年に南極渡航の申請をしたものの、
当時は女性の渡航は、
許可されていなかったそうで、
1971年にようやく許可がおりました。
この辺りのエピソードが、
女性が海外で活躍する機会が少なかった、
そんな時代背景が伺えます。
【兼高かおる 世界の旅】ってどんな番組?
さて筆者も幼い頃見ていたという、
【兼高かおる 世界の旅】
どんな番組だったのでしょうか?
【兼高かおる世界旅歩き】という番組を経て、
1959年12月よりTBSにて放送が開始され、
1990年まで続いた、
放送回数1586回の、
長寿番組でした!
なんと!30年もの長い間、
放送されていたんですね・・・
なぜか幼い頃に見ていた、
という記憶しかないのですがww
(すみません)
実は1990年まで放送されていたとは、
知りませんでした^^;
番組開始当時は、
流石に筆者も生まれていませんが(笑)、
兼高かおるさんはこの番組の、
ディレクター・プロデューサー・レポーター、
そしてナレーター、
更にはカメラマンまで務めていたそうです!
おひとりで何役も・・・!?
スゴイですね!!
番組が始まった当初は、
日本のテレビ番組が全国放送を開始して、
まだ数年しか経っておらず、
また、
日本人の海外渡航に制限があった時代の中、
現地まで直接行って海外を取り上げた番組は、
日本のテレビでは初めてだったそうです。
その後1964年4月に、
海外旅行が自由化されましたが、
筆者が見ていたであろう、
1970年代はまだ海外旅行が珍しい時代で、
兼高かおるさんのこの番組を見て、
海外に憧れを抱いた、
そんな方も、
多かったのではないかと思います。
ちなみにこの番組のオープニング・エンディングというと、
飛行機っていうイメージがありますよね^^
筆者自身もおぼろげながらも、
とても印象に残ってて懐かしいです♪
ところで、
【徹子の部屋】に出演される、
兼高かおるさんですが、
実はお2人には、
ある共通点があるそうですよ!?
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