あの人は今・・・

野口茂樹・元球界のエースNの今現在は7年間夫婦で不妊治療を行っていた!子供は?嫁や経歴などwikiプロフィール

11月18日の【爆報!THEフライデー】は、
「花形職業のあの人は今・・・大追跡SP」

予告を拝見したところによると、

元中日ドラゴンズのエースN夫婦は今…7年にわたる不妊治療を行っていた!

とのことですが、

この球界のエースNとは?
一体誰の事なのでしょうか??

調べてみたところ、
野口茂樹さんという方のようです。

野球選手について殆ど知らない筆者ですが、

この方がどんな方で、
どのような活躍をされてきたのか?

全く知りませんでしたので、
今回調べてみました。

 

主な内容
☆1ページ目
・野口茂樹プロフィール
経歴は?
☆2ページ目
・野口茂樹の妻について
7年の不妊治療!子供は?
・野口茂樹、今現在は?
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野口茂樹プロフィール

野口 茂樹(のぐち しげき)

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・生年月日:1974年5月13日
・身長/体重:179cm/88Kg

・趣味特技:競馬、絵を描くこと

・学歴:東予東中学校→愛媛県立丹原高等学校

・出身:愛媛県東予市(現:西条市)

 

経歴は?

野口さんは現役時代は投手として活躍されていました。

中学3年の時、
愛媛県中学総体で準々決勝から決勝まで3試合連続で完封し、
優勝した経験があります。

高校に進学してからは、
2年の時の全国高校野球選手権愛媛大会において、
初戦から準々決勝までの4試合32イニングスで、
40奪三振の大会新記録を樹立!
その後3年になってから春に行われた県大会では、
5回から7回まで9人連続を含む19奪三振を記録するなど、
投手として更に活躍!
甲子園の出場の期待が高まっていましたが、
夏の県大会では残念ながらベスト4に終わってしまいました。

しかし野口さんの投手としての活躍が注目され、
全国的には無名の選手でありながら、
1992年のドラフトで、
中日ドラゴンズより3位指名を受け、
高校卒業後野口さんは入団しました。

img
背番号は47

中日ドラゴンズに入団した野口さんですが、
1年目は1軍登板はなく、
2年目に野球留学を経て、
8月に広島戦において初登板を果たしました。

コントロールが悪くて四球で自滅することも多く、
ノーヒットノーランを達成したものの、
肩の怪我などで2軍で過ごすなど、
なかなか活躍できない時代がありましたが・・・

投手コーチが変わってからは、
コントロールが飛躍的に改善したこともあり、

1999年には19戦7敗の成績を残して、
リーグ優勝に貢献!
この年のMVPに選ばれました。

その後ゴールデンクラブ賞や、
最優秀バッテリー賞などを受賞。

またオールスターゲームには、
1998年・1999年・2001年に出場を果たし、
活躍してきた野口さん。

しかし2002年は、
故障のため登板が5試合しかなく、

その後好不調の波が激しく、
2軍と1軍の間を行き来するなど、
不遇な時期が続きました。

 

そして2005年シーズンオフの時期に、
FA権を行使し、
2年契約1億円の契約で、
巨人に移籍することになりました。

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ちなみに野口さんは、
中日の生え抜き選手として初めて、
FA移籍した選手だそうです。

 

ところで巨人に移籍した野口さんでしたが、
思うように活躍できないこともあって、
登板の機会も少なく、

2007年のシーズンでは、
8月中旬に1軍登録を抹消されてしまいます。

しかも年棒1億の契約だったにも関わらず、
75%減棒の2500万(推定)となってしまい、
当時の巨人史上においては最大で、
日本の球界全体でも当時3位の減棒率となってしまいました・・・

そしてついに、
2008年10月に戦外通告を受けてしまった野口さんは、
ついに巨人を退団することとなりました。

退団後、
12球団合同トライアウトには参加せず、

東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受けますが、
合格することが出来ず、

次に大リーグ、
シカゴ・カブスのトライアウトを受けました。

そして2009年、
トロント・ブルージェイズとマイナー契約で合意した、
そう報じられたものの・・・

その後のメディカルチェックで左肘に異常が見られ、
契約を破棄されてしまいました。

 

それでも野球を諦めなかった野口さんは、
異常が見つかった左肘を手術しリハビリを行なった後、

2011年にプロ野球独立リーグのチームである、
三重スリーアローズに入団することになり、

再びマウンドに立つことができました!

ところがここでまた活躍できると思った矢先、

残念なことにチームが解散してしまい、
退団となってしまいます。

 

そして再度プロ野球界の復帰をかけて、
12球団合同トライアウトを受験するものの、

結果を残すことが出来ず、
その為どの球団からも誘いがなかったことから、

ここでついには引退を決意されました。

 

それにしても、
野口さんは中日時代に活躍した時期があったものの、
不遇な時代が長く続いていたんですね・・・

プロとして第1戦で活躍するためには、
本当に厳しい世界なんだなと改めて思いました。

 

ところで、
この辛い時期に野口さんを支えてきたのは、
何といっても妻の存在が大きかったようですね?

 

野口茂樹の奥さんとは?
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